其の十二

ひと夏の体験



とある県の山間部にあるS村という所に知人が別荘を持っていて、夏はそこで過ごしているというので遊びにいった。
緑が綺麗、星が綺麗、空気が綺麗。夜になると上着が必要になるほど涼しい。村の人達が取れたての野菜や果物を持ってきてくれたり、地元の人しか行かない温泉に入ったりと、ザ・避暑地、ザ・田舎を一泊二日満喫した。

短い滞在だったので、二日目を夜まで過ごして夜行バスで帰ることに。
知人が車で一番近くの市街地にある停留所まで送ってくれた。
山を下り、走らせること約1時間。市街地といってもビル等があるわけでもなく、国道沿いにコンビニがチラホラあるくらいの寂しい所である。夜の9時ともなると真っ暗だ。S村はそこから車で1時間なのだからどれだけの田舎かが窺い知れる。(行きは県の中心駅から知人の車で爆睡している間に着いたので、要した時間も分からなければ地理感覚も無かった)

知人に礼を言ってお別れをし、停留所の建物に入っていった。

薄暗い。天井を見上げると8つある蛍光灯の内2つしか点いていなかった。入口の右隅に猫の額ほどの小さな土産売り場があり、レジもあるが人はいない。ご当地物の巨峰ポッキーがうっすら埃を被っていた。入ると直ぐ正面にある大きめのガラスケースには木彫りの熊がひとつ置かれているだけで他には何も飾られていない。そのガラスケースの裏に椅子が並べられており、どうやらそこが待合室となっているようだ。ガラスケースの脇を抜けて待合室を見る。誰もいない。奥の壁に設置された自動販売機の灯りに夥しい数の虫がたかっているのが見えた。自販機の横に扉があり、おそらくそこに従業員がいると思われるのだが、この薄気味の悪い雰囲気の中、声を出して呼ぶ気にもなれない。
「…ここでいいのか?」
一旦外に出て確認すると、なるほど「高速バス」 と看板があり、脇にはバスが入ってこれるくらいの駐車スペースもある。建物の窓に貼ってある時刻表を見ても間違いない。俺は外に出たついでにタバコに火をつけ、気持ちを落ち着かせた。
フーッと煙を吐き、改めて周りを見る。それにしても人がいない。国道を走る車もまばらで、普段であれば情緒と感じる虫の鳴き声が孤独感を煽る。
せわしなくタバコを吸うこと3本、田舎町でひとり不安になっているオッさんを包み込むようにバスがやって来た。
「良かった〜」 俺は実際に声に出して言った。
バスが駐車スペースに止まると運転手が降りてきて、2、3分で出発すると告げて建物の中に入っていった。バスの中には出発地からの乗客が何人かいるようだが、皆寝ているのか誰も降りてこなかった。


さて、乗り込もうかとステップに足をかけた時だった。
「中野さん」
背後から声をかけられた。
振り返ると喪服を着た見知らぬ女性が立っている。
…いつからいた? 停留所付近はずっと俺ひとりだった筈。バスからは運転手以外降りてきていない。服が黒いから気づかなかったのか? いやそんなことより何で俺の名前を知ってんだ? 
一瞬で色々なことを考えたが分からない。とりあえず返事をする。
「…はい?」
年は60歳くらいだろうか。小柄な人で、少し白髪の混ざった髪が片口で揃えられている。
「昨日は葬儀に来ていただいてありがとうございました」
「え…? あ、人違いじゃないですか?」
俺が訝しがってそう言うと、微笑んでいた顔がスッと真顔になり、
「中野さんでしょ」
表情が一変したことに脈が早まった。
「中野…ですけど…」
「S村にいらしてた」
「…!?
「東京から」
「…!!」
「なかのてるひさ、さん」
「…!!!!!!」
「ねぇ」
と、口元だけ笑った。


いやあぁぁぁあ!!!!!! 「ねぇ」 じゃねえ! 凄え怖え! 何なんだこのババア!? 俺は確かに中野照久だし東京からS村にも行ったが、このババアに会ってもないし、村の人と直接交流もしてないし、ましてや葬式なぞ出るわけもない。なのにこのババアは俺の目を真っ直ぐ見て確信を持って話してきやがる。フルネームを知ってやがる! 心臓の鼓動がヤバい。高橋名人の16連射ばりに早い(古い)。だいたい、このババアもS村の人間ならどうやってここまで来たんだ? それらしい乗用車なんざどこにも止まってねえだろ!? あ!? よく見りゃブサイクなツラしてやがんなババア! どうしよう、思考が止まりそうだ。ホント怖えし面倒臭えからもういっそのことぶっ飛ばしちゃうか!?

得体の知れないババアから目を逸らすことが出来ぬまま、頭の中だけがグルグルと回っていると、建物から出てきた運転手がこちらにやって来た。
(助かった…) 一体何から助かったのか、ババアに何かされたわけではないのに俺は確かにそう感じていた。
「すいません」 運転手が言うと、ババアが体をかわす。俺もかわすと運転手が乗り込み、
「もうすぐ出ますよ」
別れを惜しんでるようにでも見えたのか、気を使った声に感じた。
「あ、はい」
俺は返事をすると、かわした体の流れにまかせて反転し、そのまま車内へと乗り込む。席に座り、大きく息を吐き出してから窓の外に目をやると、すぐ真下に俺を見ているババアいた。「うわぁ!」 ビックリしすぎて背中の筋を痛めた。これから数時間座りっぱなしだというのに…。
バスが動き出すと深々と頭を下げるババアの小柄な体は更に小さくなり、国道に出た頃には喪服も相まってか、闇に紛れてその姿が見えなくなっていた。

この話にはオチがない。本当に不気味で不思議な体験だったのだが、この後に何かが起こったわけでもない。誰の葬儀だったのか、俺を誰かと間違えたのか、それなら何故俺の名前を知っていたのか、あの場にお礼を言うためだけに来たのか…何ひとつ分からないままなのである。

バスの中で知人にメールを送った。
《ありがとうございました。奥さんにもよろしくお伝えください》
《Re. おう! 気をつけて帰ってな。またいつでも遊びにおいで!》

いいえ、もう行きません。


2016年10月
BGM:あなたに会えてよかった -小泉今日子-


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