其の十一

中央線慕情




夜勤に向かうため新宿駅から中央線の下り電車に乗った。家路につく人々で少し混んでいる車内、俺はドアにもたれて外の景色をぼんやりと眺めていた。

近くの吊革につかまる男女の会話が聞こえてくる。

男「楽しかったっすね~♪」
女「うん、楽しかったね」
男「またやりましょうよ♪」
女「そうだね、今度は店長とかも来れるといいんだけど」
男「そうっすね♪」
見ると2人ともまだ若い。学生か。会話から推察するに2人はバイトの先輩(女)後輩(男)で、今日は職場仲間で飲み会でもやったのだろう。
男の顔が尋常じゃない程赤い。目はチワワの如くウルウルしている。おそらく飲み慣れない酒を頑張って飲んだのだろう様子が微笑ましい。「自分、遊び慣れてっから飲み会なんて日常茶飯事っす♪」 的な雰囲気を無理して作る愛らしいこの男のことを俺は心の中で「岡田」 と名付けた。特に意味はない。

それにしても岡田のテンションがおかしい。当たり障りのない会話をしながらも何だかソワソワしている。酔っ払っているからではなく、どうやら先輩のことが好きなようだ。先輩に目をやると、なるほど清潔感のある中々の美人さんである。発情期の猿のケツのような顔色で大人ぶる岡田に優しく穏やかに接している。一方、岡田は喜びと緊張とアルコールで物凄く変な顔だ。
うんうん、惚れているのだな岡田よ。帰りが同じ方向なのは神様の思し召しだ。千載一遇のチャンスだぞ岡田。
とまあ、勝手なことを想像して外を見ながらも若い男女を気にしていると、なんと期待を裏切ることなく岡田が先輩を口説き始めた。

岡田「いや~、なんか飲み足りないな~」
 (嘘つけ)←俺の心の声、以下同。
先輩「ほんと? 顔真っ赤だよ?」
岡田「俺、顔に出やすいんすよ。まだまだいけるっす」
 (どう見ても限界だよお前は)
先輩「そうなんだ」
岡田「〇〇さんは、まだ飲めます?」
先輩「まあ飲もうと思えば…」
岡田「もうちょっと行きません?」
先輩「え、でももう11時だよ」
岡田「家、何処でしたっけ?」
先輩「西荻窪だけど」
 (もうすぐじゃん)
岡田「じゃあ西荻窪で軽く」
先輩「帰れるの? 何処までだっけ?」
岡田「小作っす」
 (メチャメチャ遠いな)
先輩「笑。無理でしょ。行ったら帰れないよ」
岡田「なんとかなるっしょ」
 (なるなる♪)
先輩「え~、ほんとに?」
岡田「いざとなったら歩いて帰るし」
 (家に着くの昼になるけどな♪)
先輩「歩いてって。笑」
岡田「もう少し話もしたいし、ね」
 (頑張れ頑張れ)
先輩「う~ん、でもなぁ…」
 (もうちょっとだ)
岡田「あ、明日早かったりします?」
先輩「いや、別に早くはないけど…」
 (いけるぞ岡田♪)
岡田「じゃあ、行きましょうよ」
 (フレッフレッ岡田♪)
先輩「う~ん…」
 (押せ押せ岡田♪)
先輩「やっぱ、またにしよ」
岡田「え…」
先輩「今日12時までに帰るって言っちゃったし…」
 (ん? 誰に?)
岡田「え? あれ? 実家でしたっけ?」
先輩「ううん、同居人」
 (まさか)
岡田「同居人? あ、友達と住んでるんすか?」
先輩「ううん」
岡田「じゃあ」
 (言わないで!)
先輩「彼氏♡」
岡田「!!」
 (いやあぁぁぁぁあ!!!! )

西荻窪駅に到着して扉が開く。
「じゃあまた明日ねー、お疲れさま」 俺の前を通ってホームに降りる先輩に「お疲れさまでしたー」 と笑顔で手を振る岡田の瞳はチワワよりも潤んでいた。

電車が走り出し、俺は窓の外を眺める。
ハァ~~……。
ガタンゴトン。夜に響く中央線の音に混ざって聞こえてきたのは、赤い顔した岡田の青い溜息だった――。


2016年9月
BGM:Cry Baby -Janis Joplin- 


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